2015/01/31

Le Freak


ニューヨークに行ったとき泊まってたホステルの地下からずんずん音がして、マホと一緒にのぞきにいったの。関係者以外立ち入り禁止みたいなことがかいてある看板があったんだけど、読めなかったということにしといて。奥へ奥へ進んでいったら、スーパーの従業員口みたいなへんな大きい扉があって、その先がへんな箱みたいになってて、へんなバンドがライブをしていたわけ。へええ、こんなところにつながってるんだ、と思って、とりあえずへんなバンドの曲を2曲くらい聴いて、部屋に戻ったわけ。

次の日の夜、シャワーを浴びに行って部屋に戻ってくると、マホがいなくて、でも地下からズンズン音がして、もしかしてと思って昨日の立ち入り禁止に行ったら、今日はへんなパーティーが行われてて、プエルトリコなかんじの人たちが踊ってるんだけど、その中心にマホがいるわけ、踊ってるわけマホがその中心で。マホは扉から覗いてるわたしに気づいて、踊りながらこっちにやってきて、なんかよくわからないけど踊りたくなっちゃったから着替えてここに来たのとかなんとか言って、かるあも踊ろうよとかなんとか言って、気づいたらわたしも踊ってたわけ。

わたしは日本でクラブとかパーティーとか数えるほどしか行ったことないけれども、ここ、日本とは本当に違うの。人が、みんなが、おもいっきり「踊っている」の。へらへらへらって手とか足とか振ってるんじゃなくて、だからといって決まった振りを踊りこなしているんでもなくて、音楽を感じるがままにおもいっきり身体を動かして「踊っている」の。小さいときからいろんな踊りを習ってきたけれど、こんな感覚ははじめて。

運動会の行進を見て父親は「ここは軍事国家なのか」って毎年毎年言ってたけれど、こういうことやるのって確かに軍隊とか刑務所とかだよね。学校も軍隊も刑務所も何をやりたいのかっていうと、えらいひとが扱いやすいように大勢の身体を規制してるって説明してるひとがいるみたい。この「ディシプリン」の考えは、学校だけじゃなくて社会全体に及んでいる。ベンサムが言うように、権力者に統制され続けた結果、自分たちがお互いの態度を監視するようにまでなってしまって、権力者が見えない中でも「ディシプリン」がずっと継続してる結果が、お辞儀の角度だとか、リクルートスーツだとか、黒い髪の毛だとかなんだって。

そこで、磯部涼っていう先生は「ダンス」をそういった「ディシプリンからのがれる方法」としている。なるほどわたしが感じた「解放感」もこれだったのかもしれない。でもそんな中、解放からのがれるための「ダンス」が身体を規制しようという「ダンスの公教育の必修化」は皮肉なはなし。これはもしかして国の戦略かもしれないって磯部さんは言うけれども、たしかにそうかも、とてもこわいはなし。

難しいはなしになってしまったけれども、何が言いたいかというと懐中電灯を持ってきて、サランラップをピンク色に塗って懐中電灯につけたら、それを天井から吊るして、部屋真っ暗にして、あといっちばんカラフルな服きて準備ができたら、音楽を大音量で流して踊りまくろうってこと。縛られた身体を解放して踊りまくろうってこと。

そのためにばっちりな曲を以下紹介しておくね!









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